僕と本と未来

本を読んで感想などを書いてます。

自分の本当の気持ちなんてどうせ理解されないと思う気持ちを手放す

僕は心の奥底でどうせ自分の本当の気持ちとか感性とか感覚なんてどうせ理解されないとずっと思っていた。別に人間関係が悪いわけじゃないし、むしろ人間関係は約20年、生きてきた中で良好だし、ふざけたり、一緒に楽しく遊べる友達もたくさんいるけど、どこかで僕の気持ちとか感覚とかすごい深い部分は理解されないと思っていた。

 

 

僕は小さい頃からたくさんのことに疑問を感じたり、今これをすることに意味があるのかとか考えていたし、将来のことを真剣に考えていた。みんなも僕と同じように考えているものだと思っていたけど、たくさんの友達に聞いてみると全然みんな考えていなかった。

 

 

親や先生に疑問を聞いても僕が納得する答えなんて返ってこないことがほとんどだったし、僕はこのように考える自分っておかしいのかなって思っていた。小学校とか中学校の時とかは何十人の先生に勉強の意味を聞いただろうか?僕は全然納得しなかった。なんか薄っぺらかったし、また定番の答えかって思ったし、自分の感性なんて理解されないんだろうなって思ってたし、孤独感みたいのは多分抱えていたのかな。

 

 

僕は本をよんだりニュースとかを見ていて親とか先生とか学校の友達とかが考えているレールの延長線上に幸せがあるなんて思えなかったし、そんな生き方送ろうとすれば多分送れるとは思っていたけど、つまらないと思ってしまって僕にはそんな生き方無理だなって思っていた。

 

 

正直いって、いろんなことに疑問を持ちすぎたりしてしまう自分に対して、これじゃダメなんだって思っていたし、他の人のような考え方に変えて割り切らなければいけないのかなって思ってた時期も結構ある。あとは僕も疑問をもたない子だったら楽なんだろうなって思っていた。

 

 

他にも僕の本当の気持ちとか考えている事とか感性とか発想とか打ち明けても理解されないことが多かったので、そっかあ、僕が考えてることとかって理解されないんだろうなっておもっていた。

 

 

だから気づかないうちにそれがトラウマになっていたんだなって最近わかった。自分の深い部分の気持ちとか感性とかを人に話すのが怖かったし理解なんてされないと思っていたし、深い部分を否定されると凄い傷ついてしまうことはわかっていたからだ。自分を守っていたんだと思う。

 

 

だけどこのままじゃいけないんだろうなって思った。まず自分の感覚とか感性とかを受け入れるしかないのかなと思った。自分なんてダメだとかそういう気持ちを手放すしかないし、自分を責めないで生きようと思う。

 

 

そして自分で自分を認めるしかないと思った。僕はこれまでだってずっと頑張ってきたし、悩みまくっていたし、孤独感を抱えていたし、他人の期待に応えたかったし、それでもポジティブに生きようと思っていたし、否定された時に負けないために論理武装をして、いい負けないよう(自分を守るために)にしてきたし、頑張って生きてきたんだ。その事実を認めることにした。そして自分を責めるのをやめようと思う。僕はこれまでも充分に頑張ってきたから。

 

 

そして少しずつでもいいから打ち明けたりしていこうと思った。そして世の中には僕のように感じている人だって少ないながらもいることは事実だし、わかってくれる人だっていると思うし、もちろん僕だって同じような思いを抱いている人の気持ちは凄い分かるから。少しずつでいいから自分の気持ちなんてどうせ理解されないという気持ちを手放していこうと思う。

 

 

そして僕のように感じている人はこの世界に少数ながらもいることを僕は知っているし、その人たちもいろいろなことに悩んでいることも知っている。そしてその人たちはなんらかの形で社会を良くしたいと思っていることも知っているし、それが自分たちの使命であることも知っている。ただ、いろいろ大変なことも知っているし、怖いという感情もあるけど、自分を信じて少しずつでも行動していこうと思う。

 

 

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偉そうな態度をとる人達への対処法と僕の考え

偉そうな態度や傲慢な態度をとる人たちに従ってはならない。状況的にしんどい人は、態度では従ったふりをしておこう。ただ、あなたの心は従ってはならない。

 

 

権威とか権力なんてほんとにくだらない。権威や権力を振りかざして、威張っている人、傲慢な態度の人に本当に誠実な人はいないよ。権威や権力があるんだから、自分の思いは勘違いでいい人なのではないかとは思ってはいけない。今の世界では残念ながら、誠実さとかがなくても、権力を持ててしまう世界なんだ。

 

 

権威や権力があっても誠実で誰にでも対等に接している人は本物だから信じていい。僕は偉そうにして怒鳴ったりする学校の先生が嫌いだった。偉そうにしたり怒鳴ったりする先生は何か勘違いをしている。自分は教える立場であり、生徒は黙って従うべきだと。僕は小学校の頃から見抜いていた。そのような態度をとる先生は本物ではないと。

 

 

僕は学校のくだらない勉強(小学校の頃から思ってた、いいすぎた、僕には合わなかった)は良くできたし、先生が何を言いたいのかが簡単にわかった。特に人が何を言いたいのかということを完璧に一致する能力はだんだん弱くはなってきたが小学校の時はずば抜けてたと思う。授業で先生が次に言うことがほぼ完璧に一致する。これはいつでもわかるのではなく集中するとわかる。逆にみんなもわかっていると思っていたのだが(当たり前だと思ってたので他人には言っていない)、友達の発言と先生の言いたいことがほぼ完璧に一致することはほとんどなかった。なので僕は授業が退屈だったのを覚えている。

 

 

なので生徒に対して偉そうな態度をとったり、怒鳴ったりする先生は、ただの憂さ晴らしのためにしていることもわかっていたし、恥ずかしいことをしているなと思っていた。あとそういう被害にあってしまう子は学校の勉強(くだらない)が少しできなかったり、ちょっとふざけてしまう子だったりする。せこい先生はそういう子をターゲットにして自分は正当だと勝手に勘違いして威張ったりする。僕は本当にそういうのを見るのが嫌だったし、ターゲットにされた子が自信をなくしたりしまうのが嫌だった。

 

 

 

だから僕は言いたい。威張ったりしている人にろくな人はいないよ。心まで従ってはいけない。そしてもしも、威張ったりしている人にターゲットにされてしまう人がいたら全力で守ってあげよう。あなたは全く悪くなくて、威張ってるやつが悪いのだと。

 

 

そして偉そうにしてくる人への対処法としては、自分は見抜いていますよと心の中で思っていよう(力が湧いてくる)。そしてそのような人は圧力が高いので、もしも自分がそのような人に発言する場合はその人と同じか、それ以上に圧力をあげて(怒りが湧いてきた時に血圧が上がる感じがすると思うけど、その感じに冷静さを持ちながらもっていく)勇気を持って堂々と発言しよう。そうすると相手はビビってこの人には威張れないと思うから。

 

 

ただ人間は臆病だから集団になると自分の考えなど忘れ、他人に流される人が多い。この事実は忘れないでほしい。この事実があるから本物でない権力を持った人たちが偉そうに出来るのであるのだろう。だから勇気を持とう。

 

 

あと「みんなが批判しているから私も批判していいはずだ」とかそういった勘違いをしている人達が多いけど、そういうことをしている人はもうやめよう、それはあなたの意見ではない。そして、そういうことを何の悪気もなくしてしまう人にこう聞いてあげよう。「あなたは何でそれを批判しているの?」これに対してほとんどの人達は「なんとなく(だってみんな批判してるじゃん)」「これって悪いことでしょ(社会的にそういわれているよね)」というような反応をしてくるだろう。こういう人達は自分で何も考えてないし、憂さ晴らしとか面白そうだからとかそんな軽い気持ちでしてる。そういうのは恥ずかしいよと教えてあげよう。

 

 

そして自分で考えるという事を意識的にしていこう。社会的に正しいと言われている事でも本当なのか?と疑問を持とう。あとメディアにも注意したほうがいいと思う。

 

 

メディアでいっている事は本当の事もあるし、本当でない事もある。だから鵜呑みにしてはいけない。あとはメディアの性質上、視聴率が大事だから流す報道も偏ってくる。そして基本的にはメディアはこっちの意見に持っていきたいからこのような報道にするということが当たり前だけど行われる。だから簡単に偏った報道だってできるし、テレビ見てるとなんでみんなこの意見で一致なの?とか今日は専門家(的外れの専門家)に来てもらってますとかでは、ああ、なるほどこの意見を言ってほしいのか、とか簡単にわかる。あとは報道したい流れと別の意見を言いそうな人ってあんまり出れない場合が多いというのも事実だし。そういう人が出てても、他のメンバーが邪魔そうにすぐ訂正したり、なんか丸め込んだりしてるなって思うことがたくさんある。

 

 

だから自分で考えることが本当に重要になってくる。事実としてこの世界にはたくさんの利権とか既得権益とかがあるのだけれども、なんでこんなおかしい仕組みに気づいていない人もたくさんいるんだ? そして利権とかは身の周りにもたくさんあると思う。そのような時は勇気を持つことも重要だ。みんなが同意していることでも本当にそれが正しいのか?と疑問を持ち、その時に心のそこから違うと思った時に勇気をだして言えるかどうか。みんながこの勇気を持てば、少しずつでも世界は良くなってくる。このようにたくさんの人がおかしいことには「それっておかしいよね」って言えるようになってくればもっと社会は良くなってくると思う。

 

 お勧めの映画です!

 

 他にも記事を書いたのでよければ、読んでみてほしい。

 

  

 

自分の価値とは何か?

自分の価値ってなんだ?

それって社会的に認められている価値のコレクションなのか?

それがない場合って自分には価値はないのか?

そもそも人間に価値のランクみたいなものはあるのか?

そもそも価値って必要なことなのかな?

 

 

たぶん、本来の価値とは、社会的な云々とか外見とかは意味を持たないと思う。そして精神的なこと(優しさや賢さ)が価値なのではないだろうか?いや、たぶん本当は精神的なことにも、優劣はつかないのかもしれない。そもそも価値とか、そういう概念自体が存在しないのかもしれない。

 

 

ただ、僕たち人間は肉体を持っているので、どうしても社会的な云々とか外見とかを価値として認識してしまうし、自分が何かその中で欠けたものがあると自分はダメなんだって思ってしまうし、それを手に入れなければ自分には価値がないと認識してしまったりすると思う。

 

はたしてそういうふうに認識してしまうことは正しいのだろうか?

 

 

たぶんその認識は正しくない。だからといって僕はそのようなことにとらわれていないのかと問われると、とらわれていないとはいえない。

 

 

例えば外見とかはどうだろう。よく聞くセリフに「外見より中身でしょ」という言葉がある。僕はそのように問われれば、「そうだろうね」と答えると思う。でもやっぱり外見とかも大事だと思っているし、本音の部分で言えば、外見が自分のタイプであるということは大きな意味を持つことは知っているし、タイプでかつ中身がいいなあと思うことが重要になってくるということを僕は知っている。

 

 

そもそも、「外見よりも中身でしょ」という言葉には外見は大事だと認識しているけど、それだけじゃなくて性格とかも大事だよねということだと認識している。

 

 

逆に、いやいや「中身だけだろ」という人がいて、それが本音で言っているような人がいたら、なんか凄いなあと思うだろうし、悟ってんなあって思う(僕は「中身だけだろ」という心境になりたいとは思わないし、今のところの僕では、なれないだろうなって思う)

 

つまり、人間として存在するという事は外見という要素も何かしらの要因として存在するのではないか(自分で何が言いたいのかもあんまりうまく説明できない)

 

 

たまに、外見(外見だけではないが、外見が良いという要素が入っているという意味)を生かして商売をしている人を非難する人がいるが、そのように非難をする人に対して僕は怒りを感じるし、もしもそのような考えを僕と一緒にいる場所で話されたら、たぶん僕はその人がそのように批判することは何がおかしくて、間違っているかを理路整然と説明し、恥ずかしい考えをやめろというと思うし、そのような考えを改めないのであれば一緒にいることは辞めるだろうし、連絡も取りたくないと思うだろう。

 

 

このような態度を取ってしまうかもしれないということに対して、僕は自分が絶対的に正しいとは考えていないし、押しつけることは傲慢なことだとも、思っているけれども、もしも、そのようなことを何も考えず、傷つく人がいるとか考えずに憂さ晴らしとかで言う人がいるのであればそういう態度を取ってしまうかもしれない。だけどそのような態度を取ってしまうのは個人的な感情であり、押しつけることはいけないのかもしれないが、僕の個人的な正しさとしてそのような行動をとるのだと思う。

 

 

僕は基本的に自分の外見とか年齢とか性別とかを活かすのは悪いとは全く思わないし、あるものは使っていいと思う。そして女性が外見が良い女性に対しての、外見が良いだけで批判するとかは、たんに嫉妬だと僕は思っているし、見苦しいと思う(違うんだよこのクソやろーがって思う人もいると思うが、それは外見が良いとは違う要素ではないのか?外見が良いから性格が悪いとかはイコールではない)そもそも「自分は持っていないから持っているあなたはそれを使わないでね!」というのは卑怯だと僕は思うのだ。

 

 

そもそも、僕はどんな人も自分の外見とか年齢とか性別とかそのような要素を使うことはあると思う。例えば、会社に勤めている方であればクライアントに対して、よいしょするだろうし、男性だって女性だってクライアントが異性とかであれば、機嫌を良くするためとかに軽く褒めたり、相手が喜ぶことを言ってあげたりするだろう。僕はそのようにすること(度がすぎることではない)が悪いことではないと思うし、そういうことをみんな意識しているかどうかは別として使っているだろう。他に若いのに凄いねという言葉も若さを使っているし、そのような言葉に対して「若いから君は注目されているんだよ」という言葉を使ってしまう人もクソだと思う。若いという要素も堂々と活かすべきだと僕は思う。

 

 

いろいろ思いついたことを書いてみたが、今の段階の僕が考えていることは、もしも肉体をもっていなければ、価値は存在しないのかなと思う。(たぶんみんな完璧という価値でみんな満たされているみたいな感覚、勘違いされて伝わらな人もいると思うが・・・)

 

 

ただ、僕たちは人間として肉体を持って生まれてきたので、不条理がたくさんあるし、しんどい事もたくさんあると思うのだけれども、救われる考えというのは全てが完璧に作られていると信じるしかないのではないだろうか?普通こんなこと信じることなんてできないし、僕だって自分でこんなこと書いてるくせに心のそこから信じることなんてできないし、不安で一杯だけど一応書くだけ書いてみようと思って書いている。

 

 

だけどこの世界に人間が存在しているということ、そして宇宙や地球が存在していることは物凄く素晴らしいことで、今の科学では到底わからないようなことがたくさんあることも真実だと思う。だから全ては完璧なのかもしれないと信じることが救われるのかもしれない。ただ無理にそんなこと思えない状況だってあるし、いろいろ大変だと思うけど、「全ては完璧に出来ていたらいいなあくらいに思うといいのではないかな!!」と僕は思う。

 

だから、生きているだけで価値はある!!

 

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僕が考える会社組織の理想

僕は会社は手段だと思う。自分が考える社会にとって本当に必要な事、社会にとって本当に大切なことを実現するための手段として会社は存在すべきだと思う。

 

 

社会にとって本当に大切な事とは、よくある建前的な社会貢献というものではない。

本当の意味での社会にとって大切な事である。その人が心の底から、社会にとって本当に必要だと思うこと、信念や志を持って実現しようと思う事である。

 

 

そのような組織に上下関係は存在しない、年齢や肩書き、男だから、女だからということも全く関係ない。そして誰もが対等であるべきだ。社長だからといって偉そうには絶対にしない。社会にとって本当に大切なことを実現するという同じ目標を抱えた人たちが力を合わせて、その会社に集結し、団結して最善を目指すのが会社というものだ。

 

 

例えば、よく社会では上司は部下に上司だからという理由で教える必要があるし、上下関係というものが存在する。僕はそんなものいらないと思う(もちろん今現在、存在する大きな組織では必要だと思うが)

 

 

上司だから教えるのではない。社会にとって本当に大切な事を実現するための同じ土俵に持っていくために自ら教えるのだ。議論の最前線のところに到達させるために教えるのだ。それが正しいあり方だ。

 

 

僕が理想とする会社では年齢やその会社に何年務めているなんてことは全く意味をもたない。その会社の定める目標にとって最善の案が採用され、実行されるだけなので、そんなくだらない年齢や性別、その会社に勤めた年数などはまったく関係なく、最善の案を出したものを称賛する。そして最善の案を出すためには上下関係などは弊害になると僕は考える。

 

 

そもそも、僕はそんなくだらないことを社会が多く採用していることに疑問を持つ(まあ、これは搾取しやすかったり、反発するものを抑制し、管理しやすいのだろう)、上下関係がいいアイデアを生むとは思わないし、経営の行く末を決めるのが組織のほんの一部の人の意見で決まるのは最善ではないと考える(これには例外があり、ものすごくいいアイデアを持ち、頭が切れる人材がいて、周りが当事者意識のないものばかりの場合などはその限りではない)

 

 

やはり現実では、本当に社会を良くしようと思って立ち上げた会社はそれほど多くない。人を雇っているだろ、法人税とかも払ってるんだから社会に貢献してんだよ!という意見もあるだろうが、それは当たり前だし、そうだと思うが、僕はそんな次元の話をしているのではない。

 

 

僕の考える理想の会社では、社長(一番初めにその志を持ち、会社を起業した人)が理想の会社を作るためにいろいろ工夫しなければならない。まずは、社長は偉そうにしてはいけないし(勘違いして偉そうにしてる起業家っているよね)、一人一人を尊重する。そして上下関係や肩書き、年齢、性別などは関係ない、というか、そんなの当たり前だよねって感覚的に分かっている必要がある。

 

 

人を採用(採用という言葉があんまり好きではない)する場合、でも社長は選ぶ立場ではない、お互いにたくさん話あったり、一緒に働いてみたりして感性や感覚があう人でお互い気持ちよく合意できた場合のみ、「一緒に目的のために働きましょう!」といい会社の一員になる(違和感があってはならない、価値観がすりあわないのであれば働けない)。なので、そこには上下関係は発生しないし、雇っていただいているみたいな感覚は社員の人には発生しない。

 

たぶん採用担当の人などは能力を見抜いてやろうとか、自分が選ぶ立場だと思っている人が多いのだろうけど、なんでそんなふうに感じるのだろうか?まあ仕方ない、組織に長く属している人とかだとそれが当たり前だと思っているのだろうし、ビジョンとかがちゃんとしてなかったりするのだろう、まあ、あくまで僕の考える理想とはかけ離れている。

 

 

そして僕の考える理想の会社を作るためには社長はアイデアを出しやすい環境にしなくてはならない。社長は必ずすべての会社の一員とたくさん話して、何でも意見を言いやすい環境にする必要がある(これは大体20人くらいまでかな・・その後はまだ考えていない)

 

 

そして例えば会社では決まった時間に社員一人一人がアイデアを発表する時間みたいなものを固定で仕組みで作ったり、そもそも服装は自由だし、アイデアのために、どこかに出かけるとか、気分転換するとかも自由だし、そもそも、労働時間も短くて良い。何時から何時まで働けなんて決まりはない(ただ多くの時間をもしも働きたいとかであれば金銭的対価は多く発生する)。基本的に目的達成のためにすることであれば自由だ、これは言うまでもない、そもそもその事をわかった上でこの組織に入ってくる(これは社長との感性や感覚が合うという時点でそのようなことが分かっている人だからだ)

 

 

もちろん利益は大切だ。社会にとって大切なことをしている人ならば、生活できれば十分だろって考える人もいるらしいが、そんなのナンセンスだ、ありえない。

素晴らしい価値を提供しているのであれば正当な対価は発生すべきだし、困窮してはならないと僕は考える。

 

 

このような会社を作るのは大変だと思うかも知れない(僕も大変だと思う)

でも、だからと言って、仕方ないと言って諦めるのもおかしいし、そのような会社を作るために努力をしたりしていくのが良いのではないだろうか。

 

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 おすすめ本です。

 

人に迷惑かけたっていいよ

人に迷惑かけたっていいと僕は思う。

 

ただ、なんでもかんでも迷惑をかけるのはいけない。例えばわざと人に嫌がらせをして迷惑をかけるなんてことはいけないし、そんなことしちゃう人は「人に迷惑をかけてはいけないと1日100回唱えろよ」って思ってしまう。

 

僕がいいたいのは、「人に迷惑をかけていけない」という言葉のせいで辛い思いや苦しい思いをしている人がいるという事実があるということだ。

 

 

そもそも、人に迷惑をかけないで生きるなんて無理に決まっている。そして「人に迷惑をかけてはいけない」という言葉のせいで苦しんで助けを求められない人にとっては「人に迷惑をかけてはいけない」なんてことは誰にも言われなくたって当たり前に理解しているし、「人には迷惑をかけてはいけませんよ」という言葉をどや顔で言ってしまう人よりも100倍は理解しているだろう。

 

 

「人に迷惑をかけてはいけない」という言葉で苦しんでいる人は、少しの事とか些細な事とかでも「あの人に迷惑かけなかったかな?」「あの言葉のせいで少し相手の表情が変わった気がするな、なんか相手に傷つくこと言ってしまったかな?」「あの人に相談したいけど迷惑だと思われちゃうかな?」「自分のした行動のせいで相手を傷つけて、迷惑をかけてしまったかな?」とか思ってしまう。

 

 

そして自己嫌悪に陥ったり、人に正直に話せなくなったり、助けを求められなくなったりしてしまうと思う。でも自己嫌悪に陥ったり、自分の事を抑えたりしなくていいよって思う。あなたは心が優しいからそのように思ってしまうけど、心が優しい人が傷ついていいわけがないよ。

 

 

それと、大半の人は些細な事とかで「あの人に迷惑をかけなかったかな?」とか気にしていない場合が多いんだよなあ。これは結構、いがいに思う人もいると思うけどそうなんだよ。

 

 

あとは、もしも心の優しいあなたに対して、「迷惑だよ」とか酷いことを言ってくる人がいたら、そんな人の事ってどうでもいいと僕は思うんだ。そんな人とは縁を切ったっていいよ、もしもsnsとかでグダグダ言ってくる人がいたら、ブロックしちゃえばいいと僕は思う。だって感受性が豊かで他人の気持ちを凄く考えることができる人がそんな人たちのために自己嫌悪に陥ったり、傷ついたりする必要なんてないから。

 

 

それと少しくらい人に迷惑かけたっていいよ。仕方ない。実際に少し迷惑をかけてしまうことがあるかもしれないけど・・・

 

 

でもいいよ。分かってくれる人だっていると思うから。

もし分かってくれなくて迷惑だよとか言われてしまってもその時はその時で仕方ないな。誰だって生きてれば人に迷惑をかけてしまうことだってあるよって思えばいいよ、それと優しいあなたに対して迷惑だよとか言う人は本人はきづいていないだろうけど、たぶん人に迷惑をかけまくってる人だから気にしなくていいよ(それでいて自分は人には迷惑をかけていないから人から迷惑をかけられるのはたまったもんじゃないって本気で思っているのだろう)。

 

 

 自分の感情を大切にして、自分に正直に生きていこう!!

 

 

お勧めの映画です!

なぜブログを書くのか?

なんで僕はブログを書くのか?簡単に言うと書きたいから書くだけだ。

 

 

僕はブログを書いていて文法とか文章とか言葉の間違いとかは全く気にしないし、どうでもいいと思って書いている。そして自分のために書いているのだと思う。なんか頭の中でもやもやしたことを文章にしてみると、少し冷静に自分の考えとかを知ることができると思うし、自分の考えを文章にすることで自分の頭の外に一度出して、理解することで少しすっきりして前に進める気がするから書いている。

 

 

僕の中でもやもやしている思考を外部に出す事で今、僕が本当にやらなければいけないことが分かる気がする。早くそれを見つけて全力で挑みたいと思っているし、僕は生き急いでいる気がするし、焦っている、まだ約20年しか生きていないけど、もう20年もたってしまったと思っている。

 

 

僕は人生はあっという間なのだと思っているので今の自分に対して焦りが生まれてくる。焦らなくていいよと言われても、たぶん僕には無理だ。だから仕方ない。たぶん焦りがない人もたくさんいると思うしその人たちはそれでいいと思う、だけど僕は焦ってしまう、そのように感じてしまうし、そのような感性を僕は生まれ持っているのだから仕方ない。

 

 

ただ自分で自分に対して焦りすぎだぞ、落ち着け、というとたまに落ち着くし、頑張りすぎるとエネルギーが消耗してしまうことは分かっているので自分のペースで行こうと思う。そして自分の思考を早めに整理して自分のやるべきこと、やりたいこと、社会にとって本当に必要な事を確信を持てるようになろうと思う。

 

 

 

 最近、読んだ本です。

 

みんな同じが素晴らしいという幻想・・・

 

僕は小さい頃から、「みんな同じ」、「普通こうでしょ」とかが凄い苦手だった。なんでかと言うと、みんなとか普通とかは、マジョリティをさすからだ。マジョリティは自分たちの価値観や考えが正しいと信じているし、そもそも間違っているかもしれないとか、他の考えとか、価値観を持っている人達がいるという事すらも気づいていない人たちが多い。別に僕はマジョリティが悪いとは言ってないけどお互いを理解するというか、知識とかで知っておくのは大事だと思う。

 

 

そしてマジョリティはマイノリティを見つけては、「なんでみんなと同じにしないの」、「その考えはおかしいよ」とか言ったりしてマジョリティの考えが正しいのだからあなたも私達みたいにしなさいという。そしてマイノリティに対して私たちの考えと違う事をするのは迷惑だからと圧力をかけてくる。そもそも、マジョリティは自分の普段の言動がマイノリティを傷つけていたり、迷惑をかけていることにすら気づいていないのに。

 

そもそも、この世界には感受性が低い人たちの割合が圧倒的に多く、その人たちはマジョリティになると僕は考えている。そして感受性が高い人たちはマイノリティになる。

 

マジョリティは感受性が低いので人の気持ちを考えることができないし、想像力も劣っている人の割合も多いから、人が傷つくことを平気で言ったり、行動したりする。

それに比べてマイノリティは感受性が高いので人が傷つくことなんて言えないし、自分がされて嫌な事を、なんで平気でできる人たちがいるのか不思議に思ってしまう人も多いと思う(よく先生たちは自分がされて嫌な事してはいけませんというが、そもそも感受性が違いすぎるので難しいよね、基準が違いすぎるし)。

 

 

マイノリティの人たちの中には、マジョリティの言動にショックを受けてすごい傷ついてしまう人とか、すごい考え込んで疲れてしまう人たちが多いと思う。でも本当に気にしなくていいよ!言っている人たちは感受性が低く、想像性も低い人たちで自分の言動が人を傷つけているとかも分からない人たちだから!!

 

 

そしてね、マイノリティは感受性が高すぎるので生きづらさとかを抱えてしまう人たちも多いと思うけど、その分、想像性が高いという武器があるし、少数派ということで人と違った視点でモノを見れたりするから成功する可能性も高いから安心して生きていこう(僕も必死に言い聞かせている)

 

 

ほんと、いじめとかも、僕はみんな同じが素晴らしいという幻想が引き起こしていると思うんだ。そして僕は今のところいじめを解決する一番の方法はみんな違って素晴らしいという価値観を広く学校で教えるとかが大事だと思う(例えば、あの子は個性的でいいよね、とか、こういう考えできるってすごいねとか、人と違う事は凄い事だとか、良い事だよねって自然に言える価値観とか感覚があるといいのではないかと思う)。あとね、たまに、いじめられる子に問題があるとか言っちゃうアホな人たちがいるけどそういう人たちは無視することだね。

 

少し落ち着いて考えてみれば、いじめを受けてしまう子は心の優しくて感受性が高い子なんだよ。だから悪口とかに言い返せなかったり、暴力をされたりしてもやり返せないんだよ、感受性が豊かだから人が傷ついてしまうと分かるからだよ、そんなことも分からない大人がたくさんいるのが現実だと思うし、つらい気持ちを打ち明けられない子たちも、自分が打ち明けたらどう思われるだろうかとか考えてしまうから打ち明けられないのだと思う。

 

 

だから辛いことがあったときに本当に言いやすいい環境とか、普段の信頼関係を仕組みとしてしっかり作ることが大事だと思う。でも現実は感受性が低い人たちも多いからその仕組みを上手く機能させることは少し大変なことだと思う。

 

 

だからそのような事例とか感受性が高い子の考えとかをたくさんの人に知ってもらったりする教育というかマニュアルを作り、しっかり親や先生に学習させることが大事だと考えている。今の時点での僕はこんな感じに考えている。

 

 

そして、気を使いすぎて、精神的に疲れやすい人や、凄くいろいろなことに敏感で傷つきやすい人たちも、そのような感受性や経験があるから同じ立場の人や感性を持った人に対して優しくなれるし、励ます事も出来ると思う。だからプラスに捉えていくといいのかもしれない。そしてあなたに対してひどい事とか言ったり、したりしてくる人がいたらそもそも感受性が違いすぎるから仕方ないんだな、相手は別に何も考えてないんだなと理解しよう。その考えだけでも持っておくだけで少し軽くなる気が僕はする。

 

      気楽に考えて今を生きよう!!

 

 

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僕は雨が降っている時、傘を持つべきかどうか考える

僕は雨が降っている時、傘を持つか、持たないか真剣に考える。大半の人は雨が降っていれば傘を持つと思う。もちろん僕だってどしゃ降りの雨だったら傘を持つのだけど、僕が傘を持つかどうか迷うのは平均的な雨量の雨だ(雨の量の説明は難しいんだけど、弱い雨ではない)

もちろん弱い雨の時は傘を持つなんて一切考えない。だけど外を歩くと大半の人が傘を差しているんだけど、僕は傘を差している人に対して疑問を持つ。なんでこんなに弱い雨なのにみんな傘を差しているんだ?

 

 

なんで僕がそのように思うのかというと

・弱い雨の場合は傘を差さなくてもたいして濡れない。

・弱い雨に当たった時のダメージ(服がぬれるなど)と傘を差しているエネルギーや、その後の活動に付きまとう傘を持ち続けるというエネルギーが後者の方が辛いと思う事

・みんな本音は傘を差したくないのに周りに流されているんじゃないのか?

という理由だ。

 

 

まず傘を差さなくてもたいして濡れないに対して、風邪をひくリスクはどうなるんだ?と思うかもしれないけど、風邪をひきやすい人は傘を差せばいいと思う。別に僕は弱い雨の時に傘を差さないのを強要するつもりはない(当たり前だけど傘を差すか差さないかは自由だし、)

 

 

だけど、雨はしょせん水だ。別に水にビビる必要はないのではないか。服がぬれるのも弱い雨ならすぐ乾く。服の色落ちが、とか言う人も出てくるかもしれないけど、それだと洗濯はできなくなるだろって思ってしまう。

 

 

そして弱い雨のダメージと傘を持つことによるエネルギーの消費に関しては、そんなことどうでもいいと思われるかも知れないし、こいつアホだなと思われるかもしれないけど(別に僕だって傘を持って疲れてしまうわけじゃないし、筋力だって平均的にはあると思う。)ただ弱い雨に打たれるよりも傘を差すエネルギーの方が消耗しているのではないかと思うから傘を差さないほうが得なのではないかと思う。

 

 

そして、みんな本音は傘を差したくないのに周りに流されているんじゃないのか?という疑問に対しては僕の勘違いの可能性も高い(みんな周りに流されるとか傘ごときで考えていないのか)でも、本音で傘を差したくない人がもしもいるなら、日本人特有の同調圧力なんか無視して、堂々と傘を差さなければ良いと思う。

 

 

 ここで僕が迷う平均的な雨の場合を書こうと思う。

まず状況として、8分くらい駅まで歩いて電車で移動しその後数分歩くという状況があると仮定する。まず僕が第一に考えるのは外の雨の状況で8分歩いた場合にどれだけ濡れるのかという事だ。

 

 

僕は当駅始発の電車で行くため座れるので(電車はすぐ満員になる)、隣の人に水がついてしまってはいけないのでびちゃびちゃになりそうだったら、傘を持つという選択をする。ただ、雨が軽く服にしみこむ程度で影響が出ないと判断すれば傘を持たないという選択をする。

 

 

そしてこの選択をするとめちゃくちゃメリットがある。まず僕は電車の中では基本的にずっと本を読んでいるんだけど(バックの中には3冊本が常備してある)もしも傘があると傘をどのよう固定するか迷うし(僕は脚で挟んでいる)傘に気を使うという状況が発生し読書に軽く影響が出る(僕としては読書に少しでも影響するのは大問題だ)

 

 

他のメリットは電車の中にいる人に迷惑をかけないことだ。雨の日はびちゃびちゃの傘を傘専用のビニール袋に入れずに乗り込んでくるひとが多くて結構いろんな人に傘が当たって濡れてしまうという状況が発生するのだが、僕はそもそも傘を持っていないので迷惑をかける心配もない。それに僕は傘を持つときは傘専用のビニール袋に必ず入れている(だって、他人の傘が当たって濡れるの嫌だし、自分がされて嫌なことは他人には絶対したくない)

 

 

さらに傘を一日持ち歩くという面倒なことが解消される。これって結構大きいと思う。まあ折り畳み傘使ってカバンに入れておけば解消するじゃんって言われてしまうと僕の考えが多少正当化されなくなってしまうけど・・・・

 

 

基本的に僕は友達に傘をなぜ持たないのか聞かれると、一応このような考えを話している。つまり傘を持つ場合の費用対効果が少なすぎるということを伝える。そしてパリのビジネスマンは傘を差さないというのを説明し海外では傘を差さないことが結構あるということを説明している(テレビでパリのビジネスマンは傘を差さないと見たことがある)

 

 

 こんな感じで僕は平均的な雨の場合傘を持つかどうか考えている。

ここまでどうでもいい話を読んでくれた人には感謝したい。僕はどうでもいいことに対して熱心に考えてしまうことが多い。ただ、このどうでもいい僕の考えを面白がってくれる人もいるし、これからもいろんなことを考えていきたいと思う。

 

こいつほんとアホだなと思われるかもしれないけど、

僕はアホだと思われる事は光栄だ!

 

スティーブ・ジョブズだって「Think different=人と違う考えをしろ」って言ってるし、日本では人と違う事はあまり良しとしない雰囲気があるが、もっと日本人が多様性を認めて「人と違う事は良いことだ」という認識にすればもっと日本は良くなると思う。

 

だから、みんな日本人特有の同調圧力なんて無視して自分がやりたいことをやれば良いと思うし、みんなが自分の考えていることを堂々と話そうよって思う。

       

      人と違う事は素晴らしい!!

 

他にも記事を書いているのでよければ読んでほしい!

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サンタクロースはいるのか? - 僕と本と未来

 

 

 

孤独死のリアル

 

 

近年、日本は超高齢社会に突入し、高齢化率が25.1%に上昇している。そして高齢者のいる世帯は全体の4割、そのうち「単独世帯」、「夫婦のみ世帯」が過半数となっていて一人暮らし高齢者は年々増加している。このような現状から、孤独死問題、独居老人問題が日本の大きな問題点になっている。

孤独死のリアル (講談社現代新書)

孤独死のリアル (講談社現代新書)

 

 そもそも孤独死とは何だろう?著者は本書での共通認識として

 

「自宅で誰にも看取られずに亡くなり、その死が数日後に発見され、自殺や犯罪性を除く遺体」という亡くなり方を、「孤独死」と呼ぶことにする。

 

としている。そして2015年には、推計で約600万人、総人口比では21人に1人が孤独死になるというデータがあるらしい。

 

読者の皆さんの中にも、遠方の実家に高齢の親が独りで暮らしていて気になる、という方は多いのではないだろうか?また、遠方でなくても、親と別世帯で暮らしていれば、気にかかるという点では同じだろう。孤独死は、もはや特殊な問題ではなく、どこでも誰にでも起こりうる問題なのである。

 

僕が思うに、なんか社会の風潮として、「孤独死」する人は、人とのかかわりを自分から拒んでいたりとか、何かその人に問題があって孤独死してしまったんじゃないの?みたいなマイナスで冷たい印象を持っている人が多いように感じる。

 

 

このような冷たい印象を持ってしまうのは、メディアの伝え方も関係してると思うけど、僕が本を読んだりいろいろ調べたりして思ったのはそれは誤解だということだ。普通に生活を送ってきても配偶者に先立たれ、独り暮らしになって孤独死してしまうケースだって珍しくはない。

 

著者は孤独死に対して

 

社会全体が「孤独死」に対して関心を高め、お互いを気づかう社会を築き上げると同時に、一人ひとりが周辺の人々との関係を維持し、常に、「気にかけ、気にかけられる」社会にしていくことも重要である。

 

 といっている。これはその通りだ。社会全体として孤独死問題に関心を持ち、良質な助け合いの地域コミュニティーを構築することは重要だ。

 

 

では現在どのような対策をとっているのだろうか?

 

政府などは在宅医療・在宅介護の整備などを進めていたり、高齢者を見守り世話をする立場の民生委員の人の活動や、新聞配達業の見守り、自治体がヤクルトに依頼した配達・声かけサービス、行政のゴミ出しサービスなどすばらしいことを行っている。

 

 

こういうサービスはすごい重要で、見守りと同時に決まった時間に他人と会話する機会があるというのは精神的にもすごい良いことだと思うし、もっとこういうサービスがたくさん出てほしいと思う。

 

 

ただ、僕はシニア同士がたくさんの人とつながり、助け合いながら、毎日楽しく話せる友人がいる社会ができることが理想だと思う。一人暮らしのシニアには、人との交流が少ない人や頼れる人がいない人も多いし、そのような人にどのように社会との接点を持ってもらうかを考えるのが重要だと思う。

 

 

そしてシニア世代の自力を期待するんじゃなくて、サービスを提供する側の力が必要だと思う。

 

いかに対象者本人と信頼関係を築き、サービスにつなげられるかが重要なのである。

 

 僕はこの本を読んでシニア同士が毎日楽しく会話をできる地域コミュニティーをサービスとして構築していくことが重要だと思ったし、僕も自分に出来ることをしていきたいと思う。そのためにはシニア世代の人とたくさん話して現状などを分析し信頼関係を築いていかなければならない。

 

 

そして、生まれた年代がものすごく離れているから、今のシニア世代の人と価値観が違う事も多いと思う、だけど若い世代だから出来ることや発想もあるんじゃないかな、とも思う。

正直、僕にはまだ能力とか信頼とか、足りない部分も多いと思うけど小さいことからでもいいから、何か始めていきたいと思う。

 

 

この本では孤独死問題について良くまとめられていて、著者の思いもすごい伝わってくる良い本だ。孤独死問題について興味のある人にはお勧めです。

 

孤独死のリアル (講談社現代新書)

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サンタクロースはいるのか?

 

最近、友達と「サンタクロースの事いつまで信じてた?」という話で盛り上がった。

サンタクロースはいるのだろうか?この疑問は誰でも小さい頃はあったのではないだろうか?

僕は小学校6年生くらいの時まで本気でサンタクロースはいると思っていたし、小学校3年生くらいの時には僕なりのサンタクロースはいるという根拠も結構あった。

サンタクロースと小人たち (マウリ・クンナスの絵本)

サンタクロースと小人たち (マウリ・クンナスの絵本)

 

 たぶん大多数の人が親からサンタクロースはいると教えてもらい、小さい頃は純粋にサンタクロースはいると信じていたと思う(僕の友だちに一度もサンタクロースを信じたことはなかったという人もいるが・・)。

 

 

僕もずっとサンタクロースは本当にいると信じていた。しかし小学校3年生とかになると学校では「サンタクロースなんているわけないじゃん。」という主張をする友達も結構多くなってくる。

 

 

雰囲気的には、サンタクロースを信じている子も口に出して「サンタクロースはいると思う」と主張しずらくなってくる。

 

 

僕も初めはサンタクロースはいないという友達の意見は衝撃だったんだけど、なんか「サンタがいるということを信じている」ということを言いずらくなる雰囲気はイヤだった、だから僕は友達の前でも「サンタはいると思う」と主張していた。

 

 

なぜ僕が小学3年生の時、なぜサンタはいると思っていたのかというと、

・親は「サンタはいるよ。」といっていた(小学校3年生とかだから親の事はほとんど信用すると思う)。

・僕のサンタについてのいろいろな質問にも親が上手く対応してたというもの。

・親からはクリスマスプレゼントをもらっていたから。

・サンタさんに欲しいプレゼントを知らせるために紙に書くんだけど、親が紙を見に来る様子を目撃していなかったこと。

・クリスマスツリー近くにお菓子やミカンを置いておくと、次の日食べた痕跡があったこと。

・サンタクロースからの手紙が送られてくること(トナカイの事などが書かれていたから本物だと思った)。

 

 

ただ、友達に示す根拠がなかったから、サンタを捕獲するか、ビデオ(写真だと信用力が少ない)でとればいいと思いついた。ただ僕もサンタについて謎な部分は結構あった。

 

 

例えばトナカイは飛ぶのかどうか(普通のトナカイではないのか?)、サンタは煙突から入るらしいという知識があったんだけど、僕の家に煙突はないからどうやって入るんだ?ということだ。ただ煙突の事に関しては、なぜか小学校3年の僕にはサンタは透けて入ってくるのではないかという仮説があった。

 

 

サンタクロースが来る日、僕はサンタを捕獲しようと考えた、ビデオで撮ろうかとも思ったんだけど使い方が分からなくて断念したのを覚えている。まず僕の弟を誘い、二人で交代しながら見張りをすることにした。そして具体的には覚えていないんだけど罠も何個か仕掛けた。そして毎年サンタが食べていくお菓子や、ミカンを大量に用意しサンタクロースの滞在時間を少しでも長くする作戦もした。

 

 

まあ結果はすぐに二人とも眠くなって、サンタ捕獲作戦は失敗になってしまった。まあその時は残念だったんだけど、僕はそれでもサンタはいるんだろうなって小学校6年生くらいまで思っていた。

 

 

僕がその時サンタについて思っていたことは、信じている子(親もサンタを信じている)のところには本物のサンタが来て、信じていない子(親も根本は信じていない)には親がおもちゃ屋でプレゼントを買っているのではないかと仮説を立てていた。

 

 

まあ今となっては良い思い出だったと思う。

 

 

ここで少し話は変わるんだけど友だちと話したのはなんで親たちはサンタクロースはいると信じ込ませるのだろうかということだ。まあたくさんの理由やいろいろな価値観や考え方があると思うんだけど、一般的には物理的な証拠がないモノでも信じる心を養うみたいなことじゃないのかなと僕は考えた(この考えが一般的なのかはわからないし、物理的な証拠とかを考えている人が多いのかも疑問だけど)。

 

 

僕はこの考えはけっこう良いんじゃないか、と思うのだけど、僕が少し心配なのはサンタを本気で信じてきて、いないと分かったときの絶望感みたいのはないのかということだ。(心配しすぎかな、たぶんないか)

 

 

全然まとまらないし、変なこと書いてしまったような気もするんだけど、

僕が思うサンタクロースのいいところは『目に見えることだけがすべてじゃない』ということを感じさせてくれることだと思う。

脳科学者の茂木健一郎さんが「ひらめき脳」という本で、世の中にはセレンディピティ(偶然の幸運)が存在していて、日本人ノーベル賞受賞者の人も少なくとも3人はセレンディピティと呼べる偶然が介在しているといっているし、そのような偶然の幸運のような目に見えない世の中の不思議な部分もあるんじゃないかなと直観的に理解できる感性みたいなものは重要なのかなと思った。

 

やっぱりサンタクロースは素晴らしい!!

 

サンタクロースっているんでしょうか?

サンタクロースっているんでしょうか?

 

 

他にも本や映画の感想などを書いているので良けれはみてほしい。

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教養としてのプログラミング講座

この本は、プログラミングの知識などがない人でもプログラミングの成り立ちや仕組みなどが楽しく理解できる本だ。僕はプログラミングは題名の通り教養になりつつあるのではないかと思っている。この本を読むとプログラミングが身近に使われているという事が分かりプログラミングが好きになるのではないかと思う。

教養としてのプログラミング講座 (中公新書ラクレ)
 

 著者は「プログラミングを学ぶと身に付くもの」として

 

・論理的なものごとの考え方

・情報を適切に分類し、活用する方法

・最小の手間で正確な仕事をこなすための思考法

・知らない人と知恵を共有する方法

 

といっている。今現在、プログラミングは昔に比べて圧倒的に簡単になっている。そのプログラミングを学ぶことで論理的に考えることができるようになったりと良いことばっかりだ。

 

僕もプログラミングを勉強してるんだけど、僕が思う一番のプログラミングを学ぶモチベーションは自分の思い付いたアイデアを形にしたいと思うからだ。プログラミングは自己表現のツールといえるかもしれない。

 

そしてプログラミングは日常にあふれている。運動会のプログラムや電車の時刻表、テレビ番組、子どもへの教育など身近にプログラミングはあふれている。

 

この本では実社会で生きるプログラミングの例として長篠の戦いブラックマンデーなどの例を出していて読んでいて面白い。

 

そしてプログラミングの鉄則というところでは、1「伝え漏らすべからず」、2あくまで「コミュニケーション」の一様態、3「フールプルーフを活用しよう」、4「インデント」や「カラーリング」でメリハリをという鉄則を学ぶのだが、母親が娘におつかいを頼むという設定で説明されていてプログラミングの事を知らない人でもめちゃくちゃ分かりやすいと思う。

 

ほかにも簡単プログラミング講座という項目の中では著者らが開発したビジュアルプログラミング言語「MOONBLOCK」をつかった簡単な時限式・音のなるプログラムやおみくじプログラムを学ぶことができてプログラミングってこういうのなんだって理解できると思う。

 

この本ではプログラミングの事が分かりやすく書いてあるので教養として知っておきたい人やプログラミングをやってみたい人にはお勧めです。僕もプログラミングを勉強し始めてまだ少しなんだけど、今はドットインストール(動画でプログラミングを学べるサービス)やプロゲート(プログラムを書きながら学べるサービス)もあるし、結構学ぶ環境って充実していると思うんだ。だからプログラミングを学びたい人は勢いでちょっと勉強してみてほしいなと思う。

 

 僕は初めはプログラミング何を勉強すればいいかわからなかったんだけど、とりあえず「Ruby」勉強しようって思って「たのしいRuby」で勉強しました。

たのしいRuby 第4版
 

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ゼロからトースターを作ってみた

著者のトーマス・トウェイツはデザイナーで、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートに在学中にゼロからトースターを作るというプロジェクトを実行した。ゼロからトースターを作るという事は、地中を掘って原材料から作ることだ。この本はめちゃくちゃ面白かった。

ゼロからトースターを作ってみた

ゼロからトースターを作ってみた

 

 この本の初めのページに著者の前書きがあるんだけど、この前書きを読んで見れば、どんなプロジェクトなのか簡単にイメージできると思うので紹介しようと思う。

 

やあ。僕の名前はトーマス・トウェイツ。この度、僕はトースターを作ったんだ。時間にして9カ月、移動距離にして3060キロ、そして金額にして1187.54ポンド(約15万円)をかけて。ただの電気トースターに費やすには、明らかに多すぎる「出費」だ。でも、僕はただトースターを作ったわけじゃない。本当に作ったんだ。地中から原材料を掘り起こすところから始めて、お店に行けば4ポンド以下で手に入る、あのパンを焼く機械を作った。

 

TWINBIRD ポップアップトースター L.u.P.u. ホワイト TS-4668W

TWINBIRD ポップアップトースター L.u.P.u. ホワイト TS-4668W

 

 まず最初にこのプロジェクトとの第一歩としてリバースエンジニアリングを行い解体するんだけど、すべての部品数が404個という多さなんだ。そして著者は鉄やマイカ、プラスチック、銅、ニッケルなどを試行錯誤して手に入れていくんだけど、本当に大変な道のりなんだ。

 

 

いいだろう。そういうことなら、こいつに一生をかけてやろうじゃないか。100種類の材料を探し求めて地球を探し、凍てつく氷河や南国の森、そして忘れ去られた湖で半導体を探す。全然悪くないね。ヒゲを伸ばしてもいい。

 

 

 著者の発想や言葉はとにかく面白いし、行動力はピカイチだ。そしてこのプロジェクトにはルールがある。それは1、店で売っているようなもの2、トースターの部品はすべて一から作らなくてはいけない3、自分に出来る範囲でトースターを作るというものだ。

 

そのルールを守り、著者は教授に聞いたり、遠くまで原材料を掘りにいったり、いろいろな実験に失敗したりしながらトースターを作り上げていく。そして本の中には、トースターを作っていく過程の写真などもたくさん載っていてすごいイメージがしやすくて実際にトースターを作りあげていく感覚になる。

 

そして僕がこの本を読み終わって思ったことは、やっぱり何か大きなプロジェクトをすることはものすごいワクワクするなと思った。そして現在の物のありがたみが身に染みて分かったような気がした。僕もワクワクすることを本気でしていこうと思う。

ゼロからトースターを作ってみた

ゼロからトースターを作ってみた

 

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自分の中に毒を持て

 

著者は「太陽の塔」など独創的な作品を数多く生み出した岡本太郎さん。僕はこの本を読んで岡本太郎さんの言葉に凄く共感したし、もっと強く生きていこうと思えた。そして何か迷った時には岡本さんのように危険だなと思う方を選んでいこうと思った。

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか (青春文庫)

 

 これから僕がこの本を読んで響いたところを紹介しようと思う。

 

「危険な道をとる」いのちを投げ出す気持ちで、自らに誓った。

 

 

 岡本さんは「安全な道」か「危険な道」で迷ったときは危険な道を選んできた。僕たちは日ごろからたくさんの選択をして生きている。そして僕も含め大半の人は安全で無難な道を選択してしまうことが多いのではないだろうか。

 

ただ、冷静になって考えてみると、安全な道と危険な道で迷っているということは実は危険な道に進んでみたいと思っている証拠だ。安全と危険が釣り合っているということは危険な道にはわくわくすることもあるから迷っているんだ。

 

今の世の中ではみんなと同じように行動する、つまり世間知に従って無難に生きることがあたかも美徳であるように思われている。

 

だけど、僕はそのような生き方には抵抗がある。僕は日ごろから、自分の意見は主張するし、いろいろな問題に対して当事者意識を持つことを意識している。だから、多数派の意見に反射的に合わせるようなことはしていないと思う。

 

 

だけど、社会では世間知に従って無難に生きる人が立派な社会人というように思っている人も多いと思う。「昔は尖っていたけど、丸くなって一人前になれたね」みたいなフレーズは僕は苦手だ。僕は自分が丸くなって自分の意見を主張できなくなったり、何も考えずに従うような人にはなりたくないって思っている。

 

 

もちろん、ここでいう尖っているということは、横暴にふるまったり、人に迷惑をかけたりすることじゃない。しっかりと自分の意見を主張出来て、無条件に多数派の意見に流されないというようなことだ。

 

 

だから、僕はありのままの自分を貫くしかないと思ったし、自分の人生を覚悟を持って切り拓いていこうと思う。

 

あっちを見たりこっちを見たりして、まわりに気をつかいながら、カッコよくイージーに生きようとすると、人生を貫く芯がなくなる。そうじゃなく、これをやったら駄目になるんじゃないかということ、まったく自信がなくってもいい、なければなおのこと、死にもの狂いでとにかくぶつかっていけば、情熱や意志がわき起こってくる。

 

 

僕はこの本を読んでたくさん勇気をもらえたし、もっと自分を信じてありのままの自分を貫いていこうと思った。この本を僕は今後も何度も読み返すと思う。もしも自分の生き方や将来のことなどに悩んでいる人などがいたらこの本はお勧めです。

 

自分の中に毒を持て 青春文庫

自分の中に毒を持て 青春文庫

 

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はじめて哲学する本 依存について 死について - 僕と本と未来

偽善エコロジー エコな暮らしは本当にエコか? - 僕と本と未来

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なぜマッキンゼーの人は年俸1億円でも辞めるのか?

著者はマッキンゼー(経営コンサルティング会社)出身で現在、靴とファッションの通販サイト、ロコンドを運営している株式会社ロコンド代表の田中祐輔さん。この本ではマッキンゼーの価値観や考え方、そして著者のマッキンゼーに入ってから辞めるまでのエピソードなどが書かれている。

なぜマッキンゼーの人は年俸1億円でも辞めるのか?

なぜマッキンゼーの人は年俸1億円でも辞めるのか?

 

 この世界で活躍するマッキンゼー出身者の数は計り知れない。世界的名経営コンサルタント大前研一さんを初め、株式会社ディー・エヌ・エー創業者の南場智子さん、オイシックス代表の高島宏平さんなどたくさんのマッキンゼー出身者が活躍している。

 

これから僕がこの本を読んでマッキンゼー特有のここが凄いと思ったところを紹介しようと思う。

 

「寄らば大樹の陰」の思考を捨てること。そして自らがリーダーシップを発揮して日本や世界に対してインパクト(変革)を与えること。これこそが僕がマッキンゼーの中で学んだ価値観である。

 

 

僕はこの価値観がマッキンゼーの強さを表していると思う。寄らば大樹の陰の思考を捨て、一人一人が会社に所属しながらも自発的にバリューやインパクトを与えようと行動することこそが、マッキンゼーの強さの秘訣なのだと思う。

 

 

マッキンゼーではダメ出しだけして自分の意見を言わない「批判家」や何も物申さない「傍観者」であることは許されない。

 

このような価値観が根付いているのが凄いのだろう。

 

ダメ出しするだけの批判家って多いなと僕は思う。新しい価値観や考えを掲示された場合の反応などを見ていると簡単に分かる。自分の価値観と違うから叩いてやれ、そんなのありえないだろ、テレビで批判していたから僕たちも批判していいはずだ、と反射的に批判している人は多い。

 

 

 

このように新しい考えなどを掲示された時やみんなが批判している時などに反射的に批判する人は「思考停止」で、「恥ずかしいこと」だと認識したほうがいいだろう。批判をするときはなぜ自分がそのように考えるかをしっかりと説明しなければならないし、その人の人格を否定してはいけない。

 

 

他にも傍観者になることもいけない。マッキンゼーでは会議で何も話さない人は「無価値」とみなされているらしいし、会議に意味がないと思えば他の仕事を始めたり、出て行ったりということが当たり前なのだという。

 

僕もこの文を読んで自分の意見を言わない批判家や傍観者にならないように気を付けていこうと思う。

 

 

ここからは僕がこの本を読んで最も印象に残ったマッキンゼーの思考法で最も重要である「イシュー」について紹介しようと思う。

 

 

まず、何か調査や分析を依頼されたとする。そんなとき重要なことは目的意識を明確にすることだ。

 

あなたが調査・分析で何の質問に答えているのかの「クエスチョン」を明確にする意識を持つことである

 

しかしながらクエスチョンの数は無限であるので、その次に著者はこのようにするといいと述べている。

 

「アクション仮説を検証するためのクエスチョン」に絞って答えることである。

 

 ここでいうアクション仮説とは何をすれば問題が解決するかという仮説の事だ。

そのような仮説を立てていき何を分析すればいいかを明確にする。

ここまできて「イシュー」を考える。著者の言うイシューとは、

 

「アクション仮説をするかしないかが、経営にとって重要かどうか」である。

 

 

これは経営にとって重要でないことはイシューではないという事だ。だからしっかりとイシューであるかを明確にする必要がある。

 

そしてイシューを解いていくのだが、まずはMECEなどでイシューを分解していき、そのあとに検証などをして実行していく。(詳しい説明が知りたい人はこの本を読んで見てほしい)

 

 

このような思考法は僕にとってすごい参考になって読んでよかったと思う。この本では著者のエピソードなどもたくさんでてきて楽しく読める。そしてなぜマッキンゼーは志士を輩出できるのかについて3つの理由なども興味深かった。

 

マッキンゼーってスゴイなと思えるし、読んだ人が具体的に活かせる内容も多いと思う。思考法などについ興味のある人などは参考になると思う。

なぜマッキンゼーの人は年俸1億円でも辞めるのか?
 

 そして同じくマッキンゼー出身で世界的経営コンサルタント大前研一さんの「稼ぐ力」はお勧めだ。

日本企業は今、何に苦しんでいるか、これからの日本に必要な人材とは、世代別「稼ぐ力」をどう鍛えるか、などが分かる。内容も大前研一さんの視点や考えは素晴らしいので読んで損はないと思う。

 

よかったら他にも本の紹介をしているので読んでみてほしい。

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設定が最高に面白いおすすめの映画(洋画)をランキングにしてみた

僕は映画を見ることが好きなので、今まで見た中の映画で設定が本当に面白くて好きな映画(洋画)を選んでみました。映画の好みは人それぞれですし、あくまで僕の主観で選んだので面白くないと思われる映画も入っているかもしれませんがご了承ください。

僕はTSUTAYAで映画をよく借りるんだけど、映画を選ぶときすごい悩んで時間がかかってしまうので、もしも映画を見たいけど何を借りればいいか悩んでしまうときに参考にしていただけると嬉しいなあ。

 

1位 愛が微笑む時

愛が微笑む時 [DVD]

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 サンフランシスコで、偶然同じバス事故に遭遇して死亡した4人の男女。霊となった彼らはその場で生まれた赤ん坊に取りつき、成長を見守っていくのだが、彼が大人になれないのではと心配しいったん離れる。しかし彼は非常に利己的な仕事中毒の銀行員になってしまう。霊たちは再び現れ、彼に少年期の純粋さを取り戻させて、自分たちの夢を託そうとするが・・・

この映画は僕は本当に好きな映画なんだ。霊になった男女4人が最後に1人1つだけ願いを叶えられるというチャンスを与えられて、大人になった銀行員の彼と願いをかなえるために行動して行くんだけど、ものすごい感動するんだ。この映画は本当に傑作だと思う。

 

 2位 イエスマン

イエスマン “YES”は人生のパスワード [Blu-ray]

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 人生において常に「ノー」を連発してきた後ろ向きな男が、どんな時でも「イエス」というルールを自分に課したことから騒動が起こるコメディー。

主人公をジム・キャリーが演じているんだけどやっぱりジムキャリーいいなあ。

あらゆることになんでも「イエス」と答えていくんだけど、本当に笑えて元気が出る映画なのでお勧めだ。

 

3位 ファンボーイズ

ファンボーイズ [DVD]

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 高校時代からの仲間で「スターウォーズ」オタクのエリックたちは、末期ガンで余命わずかの友人に新作「スターウォーズエピソード1 ファントム・メナス」をみせようと、ジョージルーカスの本拠地スカイウォーカーランチを目指す旅に出る。しかし、彼らの行く手にさまざまな困難が待ち受けている。

ファンボーイズ、僕はすごい好きなんだ。友情ってやっぱいいよなあ。スタンド・バイ・ミーが好きな人ははまると思う。

 

4位 フラッシュバック

フラッシュバック [DVD]

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 反体制運動のリーダー、ヒューイは刑務所に護送中。ところが護送するはずのFBI捜査官ジョン・バックナーのほうがなぜか檻に入るハメに。その後なぜか2人して突如、逃亡を迫られるハメに。正反対の2人が繰り広げるハチャメチャな逃避行がこうして始まった。ヒューイを演じるデニスホッパーもすごく良くて面白い!

 5位 テキサスの5人の仲間

テキサスの五人の仲間 【DVD】

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 テキサスの金持ち5人が集まって、ポーカーの大勝負が行われる。そこへ、ポーカー好きの男がやってきて、勝負に加えて欲しいと頼み込む。しかし、男は瞬く間に金をスッてしまい、男の妻が変わるのだが・・

僕はこの映画を見てラストのどんでん返しに本当に「やられた」と思った。テキサスの5人の仲間ってそういう事かって。

 6位 恋はデジャ・ブ

 TVキャスターのフィル(B・マーレイ)はある日、同じ日を繰り返し体験していることに気づいた。彼は“過去”の経験を活かして、愛する女性に告白しようとするが・・

これ設定がとにかく面白い。毎日同じ日が繰り返してしまうので、主人公のフィルが恋する女性を落とすためにいろいろな戦略を試して奮闘する。

 7位 バタフライ・エフェクト

 時折記憶を喪失する少年だったエヴァン。ある日、その治療のために小さい頃から書いていた日記を読むと過去に戻れる能力がある事を知る。自分のせいで幼馴染のケイリーの人生を狂わせてしまった事を悔やみ、過去に戻り運命を変える事を決意する。

バタフライエフェクトとは、初期のわずかな変化が思いがけない方向へ発展してゆくことで、ある場所での蝶の羽ばたきがそこから離れた場所の将来の天候に大きな影響を及ぼすことがあるという。僕はこの映画をみて少しの選択によって未来は大きく変わるのだと思った。

 8位 隣のヒットマン

 ある日、歯科医の夫婦の隣に伝説的な殺し屋が引っ越してくる。歯科医のオズと妻のソフィは多額の借金を抱え、夫婦関係は冷え切り、互いに殺意さえ抱いていた。そんなある日、夫妻の隣に伝説のヒットマン・ジミーが引っ越してきた。ジミーはシカゴのボスを裏切って追われる身だった。そんなジミーとオズはすぐに意気投合するが、報奨金が欲しいソフィにそそのかされたオズは密告のためシカゴに向かった・・

ブルースウィルスが演じる殺し屋ジミーとマシューペリーが演じる歯科医のオズのやり取りも見どころの一つだ。

 9位 フライト・オブ・フェニックス

砂漠の真ん中で何とか着地することができたが飛行機はボロボロで無線も壊れているという状況でどうすればよいか?面白い映画だった。

 10位 奇人たちの晩餐会

 出版業を営むブロシャンには密かな楽しみがあった。それはバカな人間を招待しては仲間で笑い物にするという晩餐会だ。今回はマッチ棒の工作が趣味という税務局勤めのピニョンという小男を見つけたのだが、当日ギックリ腰になり動けなくなったブロシャンはピニョンと二人きりになってしまうのだった・・・

ピニョンがとにかく面白すぎてめちゃくちゃ笑える映画です。

 11位 特効大作戦

特攻大作戦 [DVD]

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占領下のフランス、ドイツ軍司令部を壊滅するため、12人の囚人を選んで訓練し特殊部隊を組織する。そして敵地に潜入する。

この映画は設定も面白いし特殊部隊の12人が個性豊かで見ていて応援したくなる。

 12位 主人公は僕だった

 毎朝同じ時間に目覚め、同じ回数だけ歯を磨き、同じ歩数でバス停まで歩き、毎晩同じ時間に眠る会計検査官のハロルド・クリック(ウィル・フェレル)。そんな几帳面すぎる毎日が続くある日、彼の行動を正確に描写する女性の声が彼の耳に聞こえてくる。

毎日自分の行動が実況される状態になった男がどのようになっていくかが面白い映画だ。

 

13位 セレンディピティ

セレンディピティ~恋人たちのニューヨーク~ [DVD]

セレンディピティ~恋人たちのニューヨーク~ [DVD]

 

 買い物で賑わうデパートでジョナサンとサラは出会った。それは偶然に同じ商品の手袋へ手を伸ばした時。2人は譲り合っているうちに惹かれ合うものを感じる。2度目の偶然の再会はすぐに訪れ、2人は運命を感じはじめていた。しかし、サラはこれが本当の運命なのか試そうと、ある“提案”をして去っていった。数年後、ジョナサンは婚約し、一方サラはミュージシャンの恋人から求婚されていたが、まだ2人はお互いを忘れられないでいた・・・

セレンディピティとは「思わぬ幸運に偶然出会う能力」のことなんだけど、茂木健一郎さんはものすごい重要だって「ひらめき脳」って本で言ってたんだよなあ。運命ってあるのかなあ。

14位 ツインズ

ツインズ [DVD]

ツインズ [DVD]

 

 遺伝子操作により生まれ、生き別れた双生児。心、技、体、何を取っても最高の弟と、チビ、デブ、ケチのまるでさえない兄とが出会い、母を探しに旅へ出かけることになるが・・・ 

シュワルツェネッガーとダニーデビートが兄弟という設定が面白すぎる。

 

 

僕の個人的な主観で設定が面白い映画を選んでみたんだけど、面白かったのは覚えてるんだけど細かいところは覚えていない映画もあったのでまた見直してみようと思う。僕は映画を見始めてまだそんなに長くないのでこれからもたくさんの映画をみてみたいなと思う。

映画好きの人って本当たくさん見てるからなあ、面白い映画たくさん知りたいなあ。

 

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