僕と本と未来

本を読んで感想などを書いてます。

嘘や見せかけの人間関係を見ると綿矢りささんを思い出す。

嘘や見せかけの人間関係って多いなあと最近、僕はすごく感じている。自然に話しているように見えたり、仲よさそうに見えたりしている関係も嘘だなと感じることが多い。僕がそのように他人を見て思ってしまうのは僕の感受性が高いからだろうか?

 

 

多くの人は僕が感じるような嘘の人間関係に気づいてないかもしれないし、まさか自分が他人との人間関係を嘘や見せかけで成り立っているなんて気づいていない人も多いのかもしれない。

 

 

それか違和感を感じていても社会では仕方ないからそうしているのだろうか?そういう違和感を感じている人もいるだろうし、違和感を感じなくなってしまい、当たり前に見せかけや嘘の人間関係を築いている人も多いのだろう。

 

 

みせかけ同士の人間関係や嘘同士の人間関係を僕は見るとなんか辛いなと思ってしまうのだけど、そういう関係を何の違和感も抱かずにどんどんできる人はなんか凄いなあと思いつつ僕には無理だと思ってしまうし、精神的に消耗してしまうなあと感じてしまう。

 

 

もしかしたら今の世の中では見せかけの人間関係や嘘の人間関係(多くの人は気付かない)を上手にできてうまく立ち回れる人は人望が厚く、よくできる人と思われるような組織や社会は多いのかもしれない。というか実際そうだろう。

 

 

 

だけど、僕はそういう見せかけの立ち回りのうまさなどを見ると、少し切なくなるし、心が少し苦しくなる。僕自身はこういうこと言っているけど、見せかけや嘘の人間関係を築いている部分もある。笑顔で話しているけど内心全く笑っていないことだって多くある。そういう時は笑顔が引きつらないようにしているし、最近は引きつらなくなってきたような気がする。だけど内心は僕が見せかけや嘘で笑顔でいることを見抜かれるんじゃないだろうかとおびえてる部分もある。感受性が高い人や同じようなタイプの人にはバレているのだろうなあとは思うけど、仕方ないので見せかけの人間関係を行っている。

 

 

 

ただ僕自身が嘘の関係やみせかけの関係に気づいていることには誇りに思う部分もあるし、この感受性は絶対に失いたくないと本気で思う。僕自身感受性が高くて辛いことも多いけど、高いから人の気持ちを理解できるし、僕がやろうとしていることも感受性が高くないとできないと思うからだ。

 

 

最近、見せかけや嘘の人間関係で会話している時や他人の見せかけの関係を見ている時は本当に俯瞰して客観的に分析している自分がいる。すごい冷静に分析しすぎている自分が少し怖くなることもあるし、感受性が低くて嘘や見せかけにも全く気付かない人を見ると少し羨ましくなることもある。

 

 

僕は最近、嘘や見せかけの人間関係を見たり、見せかけの関係を築いてる時に、綿矢りささんの小説を思い出す。綿矢りささんの「蹴りたい背中」や「インストール」などの主人公を思い出すし、その小説を書いた綿谷りささんを想う。綿矢りささんの小説には息苦しさや感受性の高さゆえに感じてしまう悩みなどを僕はすごい感じるし共感できる部分もある。どこか周りの環境や人に冷めているし、客観的に分析している主人公が出てくる。僕は綿矢りささんの小説がすごい好きなのだけど、社会の息苦しさや嘘の関係などに共感してしまう部分があるのだろう。

 

 

僕は綿矢りささんの事を本当には理解していないし、綿矢さんからしても理解もされたくないと思っているだろう、というかこいういう文を打っている自分ってちょっと気持ち悪いというかヤバくねって少し思うけどブログなので書く。少し前にYouTube綿矢りささんの対談を聞いたのだけど、綿矢さんは笑顔でよく笑い、すごい優しく癒し系なのかなと会話を聞いて勝手に思った(音声だけだけど)。ただ、勝手に僕は共感してしまったのだけど、僕も人と会話する時は綿矢りささんのような感じになってしまうなあと思った(癒し系とか自分で言うな)。

 

 

そして僕が対談を聞いていて勝手に思ったのは、綿矢さんは感受性がものすごく高いのだなあと思った。対談の中でも人は絶対に傷つけないように感じたし、すごい受け答えもうまいなあと思った。対談をしているけど客観的に自分と相手を見て考えているし、画面の向こうにいるたくさんの人の存在も意識しているのだなあと思った。だけど、多分僕の勝手な妄想だと思うけど綿矢さんは対談をして自分で話しながらも客観的に自分を見て本音を言えてない部分もあるだろうし、息苦しさなどもわずかかもしれないけど感じているのかもしれないとも思った(僕の勝手な妄想かもしれないけど、なんか自分でこういうことを書いていて恥ずかしいなあ)

 

 

ただ、僕は綿矢りささんの小説を読んでいて本当に幸せだと思う。なぜなら、嘘やみせかけの人間関係を見て、人にそのことを言えずに、息苦しさなどを感じてしまう時にも綿矢さんはそのことをわかっているし、小説の主人公は僕のように感じていたという事を認識できるからだ。だから少し安心するし、僕は大丈夫なんだなって思える事が嬉しいし、心が少し疲れても焦らずにいられる。だから綿矢さんの小説には感謝だなって思えた。

 

 

だから、なんか社会の息苦しさやみせかけの人間関係とかに悩んでいるとか、周りの環境や人に冷めてしまっている人(冷めてしまう部分のある自分にも少し僕は悩んでしまう)には綿矢りささんの小説は是非読んでほしいなあと思った。まとめ方がおかしいような気もするけど綿矢さんの本を紹介して終わりにしようと思う。綿矢さんは19歳で芥川賞を取っている天才作家といってもいいだろう。

 

蹴りたい背中 (河出文庫)

蹴りたい背中 (河出文庫)

 

長谷川初実(ハツ)は、陸上部に所属する高校1年生。気の合う者同士でグループを作りお互いに馴染もうとするクラスメートたちに、初実は溶け込むことができないでいた。そんな彼女が、同じくクラスの余り者である、にな川と出会う。彼は、自分が読んでいるファッション雑誌のモデルに、初実が会ったことがあるという話に強い関心を寄せる。にな川の自宅で、初実は中学校時代に奇妙な出会いをした女性がオリチャンという人気モデルであることを知る。にな川はオリチャンにまつわる情報を収集する熱狂的なオリチャンファンであった。 

 蹴りたい背中は是非読んでほしい作品。社会の息苦しさやみせかけの人間関係に悩んでいるとか、どこか周りの環境や人に冷めてしまう部分がある人などには読んでみてほしいなあと思う。

 

インストール (河出文庫)

インストール (河出文庫)

 

 

学校生活&受験勉強からドロップアウトすることを決めた高校生、朝子。ゴミ捨て場で出会った小学生、かずよしに誘われておんぼろコンピューターでボロもうけを企てるが!?押入れの秘密のコンピューター部屋から覗いた大人の世界を通して、二人の成長を描く第三八回文藝賞受賞作。書き下ろし短篇を併録。

 ませすぎた小学生のかずよしとあさこのやりとりもすごい面白いし、共感できる部分もすごい多くてよかった。

ひらいて (新潮文庫)

ひらいて (新潮文庫)

 

華やかでモテる女子高生・愛が惹かれた相手は、哀しい眼をした地味男子。自分だけが彼の魅力に気づいているはずだったのに、手紙をやりとりする女の子がいたなんて。思い通りにならない恋にもがく愛は、予想外の行動に走る――。身勝手にあたりをなぎ倒し、傷つけ、そして傷ついて。芥川賞受賞作『蹴りたい背中』以来、著者が久しぶりに高校生の青春と恋愛を瑞々しく描いた傑作小説。 

 これも様々な事を考えたし共感できる部分も多かった。暴走する女子高生、愛はちょっとすごすぎだけど、なんかそう行動してしまう事もわかるような気がした。綿矢さんのおすすめの作品です。

 

他にも記事を書いたので良ければ読んでほしい!!