僕と本と未来

本を読んで感想などを書いてます。

「この作者はいったい何が言いたいのか」と問うのは、国語のテストだけ

 森博嗣さんの常識にとらわれない100の講義を読んでいたら、「この作者はいったい何が言いたいのか」と問うのは、国語のテストだけという項目があった。その内容を読んでいたら一年以上前に僕がブログに書いていろいろ拡散されて、いろいろな意見をいただいた、なぜ学校の国語のテストの答えは一つなのか?という記事を思い出した。

常識にとらわれない100の講義 (だいわ文庫)

常識にとらわれない100の講義 (だいわ文庫)

 

 まあ森博嗣さんとしても、勝手に個人的なことを思い出されて共感され、文章を引用されるなんて嫌だろうと思うし、勝手に好きなように偏って解釈されるのも面倒だろうとも思うけど、まあ書いていこうと思う(そもそも、この文を真面目に読む人はごく少数だと思うので気にはしないし、本の解釈なども自由だと僕は捉えているので)。

 

 

では、一年以上前に僕が書いたなぜ学校の国語のテストの答えは一つなのか?をもし時間があれば読んでみてほしいのだけど、今の僕としては、すこし考えが変わっていたり、ここが甘いなとか思うこともあるのだけど、この記事ははてなの人気記事にもなったり、はてなブックマークで読まれたり、スマートニュースやライフハッカーなどにものり凄いアクセスがあった。

 そしてTwitterとかでも拡散されたりして、まあみんな適当なことをつぶやいたり、文句いったり、たまに褒めてくれる人がいたりした。中には僕の文を引用し、めっためたに批判してきたり、気持ち悪い創造性をもろに発揮された文を書いてくる人もいた。

 

 

僕としてはこの時は「ネットって怖えよーーー」と思っていたし、まだ20年しか生きていない、適当にブログ書いてる若造に対して、もろ悪意をむけてくる暇なおじさん達がたくさんいることに驚いたのだけど、まあそんなもんだよねって今なら思えるし、伝えたいことなんて伝わらないよねってことは学んだつもりだ。

 

 

というかグダグダ面倒なことを書いていると、本題にたどりつかないので、少しだけ引用したいと思う。

 

小説を読んで、「作者の言いたいことがわからん」なんて思う人は、小説ではないものを読んだ方が良い。小説なんて、何が言いたいのかわからないのが普通だし、そもそも何が言いたいのかを求めて読むものではない。学校で国語の試験が変な問題を出すから、こういう間違った認識を持つ人が増えたのだろう。

 

そうなんですよ(勝手に共感する若造)!!小説なんて、何が言いたいのかわからないなんて普通だし、そもそも何が言いたいのかを求めて読むものではない。完全同意である。僕個人としては解釈を短い文章のなかで一律に求める日本の国語のテストが気持ち悪い。あたえられた少ない情報だけを頼りにして人の心情を答えさせるなんて怖すぎだろって思ってしまう。

 

 

人間はそんなんでわかるような単純なものではない。行動と裏腹な態度をするような人もいるし、素直な人もいる。家族関係や周りの社会や所属するコミュニティー、様々な出来事を経験して今がある。なのに一律に知ったかぶって答えるなんて僕は嫌だった。こういうこと書くと、「テストだからそういうものなんだよ」って自信満々に怒ってくる人がいるのだけど、僕はそういうテストのあり方に疑問を抱くし、「今ある現実をそういうものだから仕方ない、受け入れろよ、受け入れられないやつはダメなやつ」みたいな価値観で生きている人には怒りを感じる。

 

 

 

今あるよくない仕組みを、「そういうもんだから、受け入れろ」みたいな価値観で生きている人は、「受け入れられず、適合できない人はダメな人」みたいな感じで思っている人が多くて嫌だなあと思う。僕自信そういう仕組みを何も疑わず受け入れるのではなくて、良い仕組みに変えようと考える方がいいのではないかと考えるのだ。

 

 

はてなブックマークのコメントを今読み返してみたのだけど、なんかなーって思うコメントが人気になってたりする(僕だけ!?)。

答えが一つに絞れない国語の問題は、単に悪問なだけ。しっかりした問題作成者が問題を作れば、明確な回答が出せるように設問を作る。国語の回答は読解力と論理的な思考のもとに導くもので、解釈の多義性は無関係。

 

この人ははてぶの議論に参加したかったのかは謎だけど、僕はテストのあり方について書きかったんだよね、僕の書き方がわるいのかな・・・それとしっかりした問題作成者が問題を作れば、明確な回答が出せるように設問を作る。国語の回答は読解力と論理的な思考のもとに導くものでこの部分が本当に怖い。しっかりとした問題作成者が作れば、絶対に同じ答えになるらしい、まっとうな人間であれば・・・こういうの怖いんだよね。それ意味あるのかよ、問題文から心情を絶対こうなるよねって誘導して何の意味があるのかわからない。はー伝わらないかな。まあいんだけどね。「それがテストだからな」っていう人いると思うけど、面倒くさい、相手したくない。

 

文中にはっきりと書いているところしか問題にしない。テストでは作者や主人公の気持ちなんて「考える」必要なし。ただただ「探す」だけ。パズルみたいなもん。それが正しい国語のテストのあり方かと問われると…。

 

基本的にこの人の意見には同意。まあ現実問題こういう風に対応するしかないよね。正しい国語のテストのあり方かと問われると・・・うーんってなるよねえ。

 

ググればいいからどうでもいい知識なんか覚える必要ない」←既に社会は「いかにググらずに仕事をこなせるか」を競う時代になってる

 

面倒な難癖をつけてくる人もたくさんいた。いかにググらずに仕事をこなせるか→絶対なってねえだろwww(なんか草はえちゃったよ)おじさんなのかな・・ぐぐれよってなってるだろ。というか、一年ぶりにぶこめよんでたら面倒くさくなったり、してきたので後すこしぶこめ紹介してもうやめようと思う。

 

とりあえず国語のテストの話からそこまで話が跳躍するあたり、発想力が豊かすぎて正答が導けないことは理解した。/国語は明確な答えがある学問だ。私が授業で発問するときは答えが一つしかないものしか聞かない。

サンキュー・・・はっ?

 

僕も画一的な管理教育になじめない人だったよ。学校とは僕にとって監獄以外の何者でもなかった。窮屈だった。つまらなかった。

そうなんだよね、ほんとに同意する。

 

教育が国語のように画一的じゃなく皆が長所を伸ばせばいい。仕事もそれを活かせる時代が来てモチベーション高く効率的・創造的な暮らしができるようになる。って話か。いい夢だけど社会・市場はそうならない気がする

 

うん、でも少しずつゆっくりなっている。20年後とかはそういう感じになるかも、既存の仕事の大半はなくなると思うから。

 

学校は組織として社会という枠組みにはまる人間を養成する場所だから、思考力なんて二の次三の次。受験勉強がその最たる例

 

まあ、そうなんですよねえ。高度経済成長までは良かったのかもしれないですけど時代が今は違いますからね。僕らの世代なんてバブル崩壊後に生まれて日本が好景気だった雰囲気とか一ミリも知らないし、小さいころからネットのある生活が当たり前なんですよね。まあいつの時代も教育は遅れすぎていますからね、教育を受けてしまうことのリスクも大いにあると思う。

 

作中で雨が降っていれば登場人物の心の中も雨なんだよね。富嶽百景で太宰の心情を書かせる問題があった気がするが、それも富士山の描写から読み取る感じだったと思う

 

これ言っちゃうとすごい怒られそうだし、これは少し自信ないのだけど、現実雨降って、心情、絶対雨にならねえよって僕は思ってしまう。 ただ芸術家はそうやってつたえるのだと思うし、そういうのを否定するのでなくて、テストのあり方みたいなものに対してなのだけど、わけわからなくなってきた。まあ文章で表現するにはそういうの必要だよねってことは大いにわかっているつもりである、ちょっと的外れな僕の回答だと思うし、このコメント引用したのミスったけどもういい。

 

ブコメの正論はわかるけど、小中学生に「作者はどう考えたか」という問いはやめてほしい。素直な子ほど国語が嫌いになってしまうから。

 

 これは完全同意、小学生、中学生に解釈を一つに押し付けることのひどさをわかってほしいと思う。おじさんたちには分からない人多いのかもしれないけど、昔と今では時代が全然違うんだよね。言っても気づかない人おおいと思うけど・・・

 

 

国語は資料解釈。資料を自分に都合のいいように解釈する人はいらんのですよ。

 こういう考えがほんと怖い。はあ、なんでなんだろう

 

 

というか一年前に思ったことを今、勢いで書くというひどい結果になってしまったが、まあしょうがない。この文もまた怒る人でてくるのかな。まあいいけど・・最終的にまとまりがなくなってきたのだけど(はじめからか)、また本を引用して終わりにしようと思う。

 

 

森博嗣さんは自分の本がテストで良く使われるようになり、テストを解いてみたときのことについて書いている。

十年ほどまえ(まだ珍しかった頃に)、自作が使われた問題を解いてみようと思ったことがある。接続詞を選べ、というのが問題だったが、どれを入れても良いように思えた。森博嗣はひねくれているからこれかな、と思ったら間違っていた。次の問いは代名詞が何を示すのか、だった。そんなこといちいち考えずに書いているから全然わからない。答を見て、ああ、そうなのか、と大変感心した。

 

他に興味深かったところ

とにかく、小説で作者が訴えたいことなんて、あまり詮索しない方が良いと思う。小説の主人公が口にすることだって、作者の意見とは違うだろう。なにしろ、作者は小説の物語を実体験したわけではないのだ。主人公とは生い立ちから生活から人間性からすべて違うはずだ。ところで、僕は「この読者は何がいいたいのだろう?」と首を捻ることが多い。 

 

 これは本当に共感した。僕は一度、この人の本当の気持ちなんてどうしたって理解してあげられないし、テストだからといって云々となってしまったことがあるのを思い出した(どうでもいい)。というかこのブログで「このブログ書いている若造は何がいいたいのだろう?」と首を捻られたに違いない。

 

常識にとらわれない100の講義 (だいわ文庫)

常識にとらわれない100の講義 (だいわ文庫)

 

 

 すべてがFになる。すごく良かったし、いろいろ考えた。めちゃくちゃおすすめです。

すべてがFになる (講談社文庫)

すべてがFになる (講談社文庫)

 

 他にも記事を書いたので良ければ読んでほしい(教育とかについて)!!