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僕と本と未来

本を読んで感想などを書いてます。

なぜ学校の国語のテストの答えは一つなのか?

僕の考えや思うこと 社会や風潮について

僕が初めて、なんで学校の国語のテストの答えが一つなのか疑問に思ったのは小学校高学年とか中学校一年の時とかだったと思う。僕はこの疑問は強く残っている。

 

 

何でかというと国語のテスト(小説の記述)の答えが返ってきたとき、僕が一生懸命考えて、ものすごく自信があった答えを✖にされたことがあって、僕は先生に自分がどのように文章を解釈し、このように考えたからこの答えを書いた、と言いにいって、なぜ僕が間違っているのか聞いたことがある。

 

 

まあ、結局僕の解釈は違うと言われ、✖のままだったんだけど、その時僕は、「なんでなんだよ」ってすごい理解されない悲しい思いをしたのを覚えている。(まあ答えが✖のままなのは当たり前か、コイツ単純に読解力ないだけじゃね、とかは思わないでほしい、まあ、そうかもしれないけど)

 

 

でも何で国語の答えって一つなんだ?

小説とかだと解釈ってたくさんあるんじゃないのか?

人の気持ちを書かせる記述とか文章を読んで何で解釈が一つになるんだ?

先生は作者に実際会って話を聞いたのか?

テストの回答の解釈を必死に暗記して話しているだけなんじゃないだろうか?

作者は自分が書いた小説を一つの解釈として読んでほしいのだろうか?いやそんなことはなくて多様な解釈があっていいと思って書いてるのではないのか?

 

 

まだ社会人になってもいない生意気なゆとり世代の立場から言わせてもらうと、社会に出ると答えって一つじゃないだろって思ってしまう。

 

 

あと、話は変わるんだけど、僕が心配なのは親とか先生とかによって小学生とかの無邪気で面白い発想とか才能とかを潰さないでほしいと思う。今の小学生とかは一年生とかからお受験のために勉強をめちゃくちゃしてるって言うのを見たり聞いたりする。

 

 

別に僕は学校の勉強を否定するわけじゃないんだけど、もっと大事なこと(友達と遊ぶとか、好きなことをするとか)があると思うんだ。僕は小学生のうちからめちゃくちゃ学校の勉強をさせる親の考えが理解できない(勉強が好きな子はどんどんしていいと思うけど、嫌いな子にたくさん勉強させるのはひどいと思う)

 

 

たぶん親の立場からすると良い学校に入れれば幸せになれるから子どものためなんだよって言うと思うけど(他にもさまざまな理由があると思うけど)、それって本当なのか?

 

 

もうとっくにそんな時代は僕は終わったと思うし、それがほんとうに子どものためになるのか僕は疑問だ(別に僕はこの考えを強要するつもりはないし、僕の考えが気に入らなければ気にしないでほしい)

 

 

まず今の学校教育を受けても思考力は付きづらいと思うんだよなあ、もう今の時代って知らない事があればすぐにググればいいからどうでもいい知識なんか覚える必要ないと思うし、自分で考える力が大事だと僕は思うんだ。(最近はまた詰め込み教育に戻したけど、これってほんとナンセンスだなって僕は思うなあ。例えば、一つの問題に対していろんな意見を出し合って議論するとかの方が僕はいいと思うんだけどなあ。学力ってなんだよ)

 

 

そもそも勉強がすべてなのか?みんないろいろな才能があって、勉強ができる子、絵が上手な子、運動ができる子、歌がうまい子、話が面白い子などみんなそれぞれに素晴らしいところがあるじゃないか。(僕は小学校の時、絵が上手な友達をまじリスペクトしてた。)

 

 

なのに今の学校はくだらないペーパーテストで子どもたちを評価する。そんなのおかしいと僕は思う。もちろん勉強が好きで得意な子はそこで評価されるべきだ。だけど勉強が不得意な子はダメかというとそんなこと絶対ない!!

 

 

 勉強が不得意な子はそれ以外で得意なことがあるはずだ。そこを評価してあげればいいし、得意なことをたくさんやらせてあげて長所を伸ばせばいいと思う。

 

 

僕は子供たちを一方的な見方だけで判断するのはひどいと思う!それって公平なのか、僕は一つの見方だけで判断するのは公平じゃないと思う。それによって学校の勉強が不得意で自分に自信が持てなくなっちゃう子とかもたくさん出てきてると思うんだ。しかもそういう子に対して世間とかは冷たいなって僕は思ってしまう。

 

 

それによって自信を無くして勉強以外の才能も伸ばすのを諦めてしまうかもしれない。それと「君の学力だとそれは無理だよ」とか「夢みたいなこと言うな」とか絶対言わないでほしいと僕は思う。

 

 

小学生の時って世界が本当に狭いと思うんだ。だから大人が何気なく言った一言とかの影響で「自分はダメなんだ」とか思ってしまう。

 

 

だからそういうことは言わないでほしいし、親や先生に子どもの可能性が分かるはずはない(もの凄い才能があるかもしれない)。もっと子どもを信じてあげてほしいって思う。

 

 

僕は小学生とかの時は好きなこととか興味があることに熱中できる環境を与えてあげることが一番重要なんじゃないかなと思う。それと今の時代は学びたいことがあれば自分で本やネットを使えば何でも学ぶことができるし、興味があることを学ばせてあげるサポートが大事だと思う。

 

 

実際は今の時代はネットによって昔だったら仕事にならなかったことが仕事になってるんだ。ゲーム実況で稼いでいる人とかアイス食べて稼いでいる人(アイスマン福留)とか、好きなことをブログに書いたりして稼いでる人だっている。

 

 

昔の価値観では仕事にならないと思うようなことでも仕事になる時代だと思うんだ。極端に言うと趣味が仕事になる可能性だって結構高いと思うんだよなあ。それはまだ一部の話だろって言う人が出てくると思うんだけど、10年後はそのようなことがメジャーになっている可能性は大きいと思う。

 

 

今の時代って平均的に優秀よりも、何か一つずば抜けて優秀とかの方がいいと僕は思うんだ。だからみんなが長所を伸ばしてお互いのすごいところをほめあって、それが刺激になってまた自分の長所を伸ばす、みたいな感じになったら僕はいいなあと思う。

 

 

なんかこのような事を書くと、「ゆとりがなんか語り出したよ(笑)」みたいに思う人もいると思うんだけど、基本的に「ゆとりだ(笑)」とか言っちゃう人って思考停止丸出しだから僕はそのような意見はどうでもいいし、そういう事しか言えない人は恥ずかしいことだと認識したほうがいいと僕は思うなあ。

 

 

なんか少し熱くなってこの文章を書いてしまったんだけど、何が言いたいかっていうと子どもの好きなこととか、興味のあることを一生懸命応援してあげることが一番重要なんじゃないかと僕は思う。

 

 

でも親だってたくさん不安があると思うし、子どもの将来の事を本気で考えてるんだろうなってことは僕もなんとなく分かる。だから学校の勉強もやりつつ、子どもを信じて好きなことも思いっきりやらせてあげてほしいと思った。

 

 

この文章を読んで不快に思われた方や僕の考えが嫌な人もいると思うけど、その様な人は気にしないでほしいと思うし、ごめんなさいって言いたい。

 

 

でも僕みたいな考えがあってもいいよな、とも思うんだ。やっぱり多様な価値観とか考えがあっていいと思うなあ。

 

 

 

追伸 なんか学校の国語のテストの答えは一つなのかについてたくさんのコメントがついてて少しビビりました。読んでくれたみなさんありがとうございます!

 

僕としては、国語のテストについて言いたかったのは、解き方とかそういうことじゃなくて答えが一つになるようなテストってどうなの?って思いました。

 

問題や文章を読んだら一つの解釈しか出ないっていう意見はその通りなんだけど、なんか僕としてはみんなに一つの解釈しか出させないように作るテストに疑問を感じる!うまく言葉に出来ないんだけど、なんでみんなが同じ解釈をするように求めるんだろうって思ってしまう。後、自分の感情を抜きにして本文から読み取れってのも当然なんだけど、趣味でみんなが本を読む時ってそんな読み方をしないじゃん!

 

なんかそういうところが僕にはしっくりこない。なんか変な事書いてしまったのかも、軽くテンパってる。僕がずれてるのかも知れないとも思った。

 

改めて読んでくれたたくさんのみなさま、ありがとうございました!

やりたいことは全部やれ! (講談社文庫)

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 他にも記事を書いたのでよければ読んでほしい!!